(スペイン)[2002/12/31]

(藤前干潟を守る会「ダイシャクシギ」ニュースレターNo.64から転載)

辻 淳夫

1993年の釧路会議に参加して以来、ブリスベン、サンホセと4度目の参加である。今回の目的は、何よりもラムサール登録の瞬間に立ち会いたいということだった。ゴミ埋立から守られたことはサンホセ会議で報告できていたが、そのあとの名古屋市のゴミがどうなったのか、それを伝えたいという思いも強かった。
ふたつめは、今年になって急浮上した「自然再生推進法」案に関わる、ラムサール会議での「湿地復元の原則と指針」の議論に日本湿地ネットワークとして加わり、それを持ち帰ること、そして第3に、「自然再生」が声高に論議される中で、もっともそれが望まれている諌早干潟は理不尽にも何ら復元が進まないという状況や、沖縄では貴重な海草藻場である泡瀬干潟が、20世紀そのままの自然破壊型開発がまかり通る現状を国際社会に訴えたいという気持ちもあった。それは、諫早をモデルにといい、その10倍を超す規模の閉め切りを進めているセマングムともつながる。

本会議のプレとして、IUCN(国際自然保護連合)専門家会合で「湿地復元の原則と指針」が議論されるのでそこはJAWAN国際担当のマギーさん、並行するNGO会議「ラムサール条約30年、これから」には、「日本におけるラムサール条約の適用」と題して私が発表を申し込んでいた。
私はここで、奇しくも同じ1971年から始まる条約と、日本の環境行政と、自身の干潟との関わりと、日本の干潟保全活動史を総括し、開発に先行され失われた中で、藤前が唯一巨大な公共事業を止めて登録された最初のケースであることを指摘した。
そこには、市民の科学、理不尽を許さぬ世論、インターネットによる内外NGOの協働があったこと、そしてゴミ埋め立て計画断念の結果、215万都市のゴミ行政を画期的な転換に導いたことを指摘し、ラムサール条約に都市問題の解決というあたらしい意義と役割をもたらすものになったと強調した。

本会議のサイドイベントとして開かれた宮島沼と藤前干潟の登録証授与式では、デルマー・ブラスコ事務局長から、ここにいたるまでのNGOの貢献を暖かく称えていただき、感動した。これからも続く困難な課題の解決に、今度はラムサール条約が味方するでしょうといってくださった。
その言葉を胸に、真のゴールに向かってあたらしく始めよう。
一方、その犠牲で藤前を救ってくれた諫早や、理不尽な泡瀬やセマングムについては、日本と韓国、それぞれの若いNGOの熱い努力が会場を彩ったものの、さしたる進展は得られずに終わった。帰国してみれば、多くのNGOが問題視している「自然再生推進法」は、ラムサール会議での「湿地復元の原則と指針」決議すら無視して(決議文の和訳すら用意されぬまま)通されてしまった。私たちに試練の種は尽きないようだ。

ラムサール条約について