2011.08.042011年8月4日、日本自然保護協会会議室にて、IUCNセミナーが開催された。15名近くの人が参加し、吉田IUCN-J会長から、最新の世界遺産委員会への参加報告を中心に、世界遺産条約とその今後のあり方についてディスカッションが行われた。

基調報告においては、2012年11月16日には世界遺産条約設立40周年を迎えるなかで、近年の世界遺産委員会における決定が、世界遺産条約の正当性を揺るがしかねないことが報告された。質疑応答では、今後の世界遺産条約のあり方について話し合われた。

このイベントは、地球環境基金の助成を受けて行われました。

下記レポートのまとめ・文責は、道家哲平

基調報告 危機にひんする世界遺産条約 吉田正人

世界遺産委員会について

今回はIUCNの代表団の一員として世界遺産委員会に参加した。
世界遺産条約の締約国会議があって、2年に1回、UNESCO総会と同時に行っている。予算の決定や、世界遺産委員会委員国の選出は締約国会議の仕事。
しかし、世界遺産リストのリスティング(記載、削除、危機遺産リストへの記載、遺産の評価)に関する部分や世界遺産基金の使い道など、非常に核となる機能は、世界遺産委員会(たった21カ国だけ)で決めるという仕組みである。

日本政府も、今回の世界遺産委員会に対してはオブザーバーという立場。委員国に第1の発言権があり、その次に条約加盟国、さらにNGOはオブザーバーのオブザーバー。ただし、IUCNとICOMOSと、ICROMは諮問機関として最前列に出ている。1989年に沼田先生が出席していたのを思い出すが、当時は「専門家の意見が中心に議論され、政治的な駆け引きが行われていない」とおっしゃっていた。

今回世界遺産リストには、自然遺産3、文化遺産21、複合遺産1が追加され、累計自然遺産183、文化遺産725、複合遺産28 合計936か所となった。もうすぐ1000を超える。この1000の見方は、そろそろ打ち止めという専門家の意見と、まだまだ登録したいという加盟国の意見がある模様。条約ができた時の加盟国のコメントとしては、100程度にしようという意見があったが、大分様相が変わってきた。

危機遺産リストに、リオ・プラタノ生物圏保存地域、スマトラ熱帯雨林遺産を追加。マナス野生生物保護区(18年近く掲載されていた。民族紛争、貧困による野生生物の密猟が原因)の危機遺産リストからの削除を決めた。

小笠原諸島の登録の経緯

2003年候補地検討会で候補地になる。
2007年暫定リストに登録。
2010年推薦書提出。同年IUCNの現地調査。
2011年世界遺産委員会で世界遺産リストに記載。

自然遺産は準備書に時間がかかるので、5年に1回程度の物件推薦となっている。
文化遺産では、暫定リスト(5-10年以内に世界遺産リストへの掲載を提案するもの)に掲載しないと、申請出来ないというルールが出てきた。途上国の推薦書つくりの支援や意図の明示を目的としたこの暫定リストは作った方が、推薦を促進することがいえる。文化遺産では義務付けが加速されているが、自然遺産はそれを義務付けなかったので、登録が遅い原因となっている。
自然遺産に関しては、2003年の段階で候補地となった知床や小笠原、琉球諸島を暫定リストとして出すべきであったと思う。暫定リストから推薦書まで時間がかかる。

小笠原の場合は、外来種の問題が大きかった。調査は(南硫黄島までいったので)三週間かかった。現地調査後、IUCNからの質問・助言があって海洋保護区域の拡大などの調整が行われた。バッファーゾーンがない部分に対して、そこをfunctional buffer zoneとみなしてよいかなどの質問があった。

世界遺産の基準をおさらいすると


ⅶ 自然美(世界中にここしかない美しさ、サガルマタ・キリマンジャロみたいな群を抜いて秀でているもの。日本では屋久島だけ)、
ⅷ 地質学的重要性(ハワイやガラパゴスはマグマのホットスポット。500万年の寿命の島。小笠原はプレートがぶつかってできた島なので形成過程が違い、当初ニューギニアの近くにできた小笠原は4800万年かけて移動した。ボニナイトに代表されるこの歴史の価値は、日本の関係者の誰もが世界遺産の基準に合うと思っていたが、残念ながら通らなかった)
ⅸ 今も続く生物学的な過程(進化)がみられる。小笠原は高気圧に覆われることが多く、雨が降らない。カタツムリは最初1種類だった(と思われるのが)のが多様に分化した。これを適用放散といいい、ガラパゴスやマラウィ湖に有名な事例がみられる。小笠原はここに当てはまった。
ⅹ 生物多様性上重要な生息地(当初絶滅危惧種の生息地であったが、1992年の時に生物多様性条約の立案過程の議論(「幻の16条 保護地域リスト」)にのっとって生物多様性の保全上重要な地域に変化した)。ただし、IUCNの運用上は絶滅危惧種としている。知床は基準ⅹで通った。小笠原も生物学的にはこの基準に当てはまると思うのだが、「世界のレッドリストに日本のレッドリストが反映されていない、日本の種の保存法に入っていない。」ということで材料不足。陸生貝類の95%が固有種、1400の昆虫のうちに500が固有種という状況だけれど、世界を説得する材料にならなかった。

IUCNの評価書がほぼそのまま採択された。

外来種対策は評価され、「継続することの重要性」が指摘された。ノネコに対する取り組み(猫待合所)が人道的なものとして評価。グリーンアノールなどの取り組みも評価された。

注文がいっぱい付いたのは観光や飛行場を作ることに関して。特に、観光客のための空港に関しては、IUCNが厳格な早期の環境影響評価を行うように提案しているし、エコツーリズムに環境専門家を組み入れることや、観光ガイドの質の向上も指示している。

海洋保護区の拡大。
IUCNからの提案により、当初の申請時よりも海岸から5KMまでを海洋保護区として広げた。

世界遺産管理地域という新しい概念

世界遺産地域(陸域)のところで、注目してほしいのだが、バッファーゾーン(緩衝地域)が設定されておらず、コア地域から急になにも規制のない普通地域(市街区)があるところである。通常は、世界遺産地域は、コアエリアの保護のためのその周辺部をバッファーゾーンとして一定の規制のかかるエリア(保護地域)とする。「バッファーゾーンという言葉に、様々な開発行動の制限がかかる」という印象があるからか地元からバッファーゾーンと呼ばないでほしいという意見が出され、今回新しく世界遺産管理地域(world heritage management area)という概念が導入された。

バッファーゾーンの考え方は、コアエリアに隣接する地域に設定し、コアエリアにかかる直接的影響を軽減するという発想から生まれたものだ。しかし、小笠原のようなところでは、例えば外来種対策など、バッファーゾーンで施しても意味がない。この世界遺産管理地域というのは非常に幅広く設定されており、小笠原島から竹芝桟橋までの航路も世界遺産管理委地域とされ、その面積はコアエリアに比して18倍という規模になった。外来種対策など管理計画が適用されるという考え方で、保護地域の範囲を広くとらえるという新しい考え方は、これからの生物多様性保全を考える上で重要な発想だといえる。(ただし、世界遺産委員会ではfunctional buffer zoneという表現をしているが)。

危機にひんした世界遺産条約

IUCNやICOMOSの評価と、世界遺産委員会の決定が異なる事例が増加している。
数年前までは、ほぼ諮問機関の意見通りだったものが、2007年くらいから、日本の石見銀山(「登録延期」だったのを逆転させて登録させた)に象徴されるように、評価と決定が食い違うことが増え、そこから、2009年で20%近く、2010年で50%近くまで、諮問機関の評価と違う採決が世界遺産委員会で行われるようになった。2011年は50%を上回る、すなわち、諮問機関の評価と委員会での決定が逆転するまでに至った。
たとえば、途上国の登録が少ないので、途上国間の間で登録の可能性を残すように「記載せず」(not inscribed:この評価が下されれば、二度と提案できない)を「登録延期」などと判断するようになった。イコモスが、登録延期と判断したものが、去年33%が、今年80%が無視される結果となった。

途上国と先進国のアンバランスをただす動きがある一方、この動きをPoison Gift(毒りんご)ではないかと指摘する声もある。管理計画ができていない状態で登録してしまったら、数年後には危機遺産リスト入りというのもあり得る。

また、危機遺産リストはPunishment(おしおき)ではないということも指摘された。国際協力によって救いましょうという目的の「危機遺産リスト」である。
例えば、セレンゲティ国立公園(タンザニア)を横断する道路計画の問題が持ちあがり、危機遺産リストに入るかと思われたが、政府が道路計画を変更し、さらにIUCNが異議をたてて、政府として道路計画そのものを取り下げた(大臣の書簡による意思表明)というような事例がある。
しかし、コミ原生林(ロシア)では、金の採掘を続行。危機遺産化を提案したら、委員会は危機遺産に入れず。計画時点では危機になっていないという論旨で、危機遺産に入れられることをロシア政府が拒否した事例もある。

諮問機関の評価とは異なる、管理体制などが不十分なものを「世界遺産リスト」にどんどん入れていく傾向がある一方で、世界遺産リスト入れた後に「危機遺産リスト」には入れたくないという政府の判断が増えている。結果として、ちゃんと守れていない「裏危機遺産リスト」が増えていくことになるのではないかという危惧がある。

40周年を迎える世界遺産条約


世界遺産を保護地域の管理モデルに
・知床方式(科学委員会を立てて保護に役立てる)を小笠原に適用したように、世界遺産における管理は、「保護地域の管理モデル」として質を高め、活用することが本来必要である。
世界遺産を通じた生物多様性保全
・今ある世界遺産の数をそれほど増やす必要はないのではないか。むしろ、数よりも質の向上に持っていく必要がある。
・自然遺産183件のうち129件が生物多様性基準を含み、世界遺産は生物多様性保全上も重要な地域である。
世界遺産に若者の参加を(Go4Biodiv)
・将来世代に参加をしてもらう ユース会議などを筑波大学として進めている。

質疑応答

世界遺産条約の40周年事業って何ですか?
世界遺産条約は1971年11月16日に採択された。来年は各地で40周年イベントが行われるが、ハイライトとなる40年目の設立日のイベントを日本で開催することが決まっている(世界遺産委員会で日本政府が提案)。場所・プログラムはこれから検討されていく。

世界遺産条約では、政治的な駆け引きが強まっているのか?
これまでは、政府団の中に中央博物館長などの専門家が入り(あるいはその専門家が代表として参加)議論されてきたが、今は、外交官中心になってきた。外交としての成果をあげることへの関心が高まっている。

小笠原の基準Ⅶ(地質学的価値)のように、世界の評価と国内評価のずれが大きく、そのため政府が国内評価を再認識させようと躍起にならなければいけないという事情があり、政治的駆け引きが強くなっているのではないか?
そんな科学的な理由とは思いにくい。グローバルストラテジー=世界全体にバランスよく世界遺産があるという公平性と、登録物件の質・管理の確保(リストの信頼性)の間のギャップ。最近では、IUCNとICOMOSが提出するステートメント・オブ・コンサベーションの評価に時間がかかるようになった。

危機遺産リストの有効性は?
マナスのようにうまくいったところがあるが、危機遺産の状態にあるのに、リストに入れたがらない国も多い。ただ、危機遺産化を回避しようという思いが保全活動の促進に働くこともある。
アスワンハイダム建設によるアブシンベル遺跡を水没から救うという世界遺産条約の策定のきっかけとなった事例に象徴されるように、ユネスコは当初危機遺産リストを作ろうとしていた。それに対して、IUCNやアメリカ(イエローストーン100周年)の影響で、outstanding universal valueをもった場所を登録するシステムを提案し、両者が合体して今の条約が生まれた。その当初の想いから鑑みると、現在、危機遺産リストが「不名誉なリスト」と思われているのが問題。

世界遺産条約を担保する国内法は必要か?
ほとんどそういう国はない。事例として、オーストラリアが有名。ただし、法制定の背景に、州政府と連邦政府の対立があり、連邦法として開発規制の法律を作った。
小笠原は、すこしずつ縦割り化がすすんでいて、部署横断型の取り組みが必要ではないだろうか。都の条例や外来生物法の改正による地域指定など、あらたらな仕組みをゆくゆく考えていく必要があるのではないか。

以上